宮古島トライアスロン

4月24日(日)宮古島トライアスロンに出場してきた。

今回は国内交流選手ということで招待を受けて出場をさせて頂いたものだ。(実力は大したことはないのだが・・・。) とは言え、またと無いチャンスなので会社のことはスタッフにお願いをし、心置きなく宮古島へと旅立たせさていただいた。

21日から現地入りしたが、雲行きは怪しくちょっと肌寒いくらいだったが、レース当日は快晴で、気温もちょうど良い感じとなっていた。 過去稀に無いベストコンディションだったそうだ。

今回は国内47都道府県と海外16カ国から合計1482人がエントリーしていたが、東日本大震災復興支援の大会にも位置づけ、開会式冒頭では参加者全員で黙祷をささげた。

選手宣誓は昨年の覇者ウルガング・グエンベル選手が行った。

そしてレース当日を迎えた。

まずはスイムだが、噂どうりの透明度で入水チェック後ウォーミングアップで少し泳いでみたがイトヒキアジの群れがいきなり見えた。 さすが南国・・・。  ただし水温は23℃で、特にスイムが苦手というトラウマからかとても冷たく感じ、不安な気持ちで一杯になった・・・。

スタート前は参加選手全員で雄叫びを上げ場内は物凄い盛り上がりを見せたが、スタートの合図はいつ鳴ったのか分からないくらい小さく、だらだらとしたスタートで海へと入っていった。 ※多分混乱を避けるためであろう。

ゆっくり目のスタートで落着いて広々泳ぎたかったのだが、さすがは宮古島は千数百人の大会、私と同じ考えの選手も沢山居たようでしばらくは芋洗い状態で泳いでいた・・・。

ほぼずっと海底が見えるほど海はきれいで苦手なスイムもそのお陰でかなり気が紛れてくれた。 ただし私くらいのペースだと、魚達はもうどっかに逃げてしまっていて全く目にすることは出来なかった・・・。 トップの方の選手はウミヘビを見たらしい。

1時間程度(600位台)でスイムを上がり私なりには上出来なタイムで喜んでいたが、家族には「招待選手のくせに遅いな。」と言われた・・・。 確かに待ちくたびれていたのかトップ選手しか写真を撮ってくれていなかった。

プロトライアスリート西内選手 ↓

バイクのトランジットではスイムを無事に終えることが出来た安心感でとても心地よい余韻に浸っていた。(※トランジットとは、前の競技から次の競技に移る際、着替え等を行う場所です。)

どっちみちあせっても仕方が無いという思いからあえてのんびりと着替え等を行った。

トランジットバックの扱いがちょっとややこしかったので指差し確認も行い次の競技へと移っていった。 (※トランジットバックとは、終えた競技や、次に移る競技で着る服等を入れておく袋のことです。)

特にバイクは練習が出来なかったので謙虚なレース運びをさせていただいた。 おっちゃんだろうがおばちゃんだろうが綺麗なお姉さんだろうが、抜いていく選手に惑わされることなく自分のペースで坦々と前に進んだ。

なにせ宮古島の景色は本当に素晴らしかった。 バイクコースは、島の絶景ポイントをほぼ全て眺めることの出来るコースが設定されていた。 コバルトブルーの海に美しいサンゴ礁、広くてなだらかな土地に広がるサトウキビ畑・・沖縄を十二分に満喫しながらペダルを踏んだ。  また、どこに行っても地元の方が応援をしてくれていて、子供達がエイサーを踊り、琉球太鼓を叩きながらの応援も沖縄ならではの風景であった。

一周約100キロの島の住民全員が、このトライアスロンのために尽してくれていることがとてもよく伝わった。

↓宮古島のシンボル 「まもる君」も随所に見守ってくれていた

自転車とは言え155キロも走ると、さすがに背中や腰,お尻が痛んだ。

何とかバイクを終え、ランのトランジットへと入った。

ここまでで700位台となっていたようだ。

ここでも落着いてゆっくり着替え、ストレッチなども入念に行った。 トイレに入りたかったが満員御礼の大行列だったので、とりあえず走り始めることとした。

しばらく進むとガソリンスタンドがエイドステーションになっていたので、そこでトイレを借りた。(※エイドステーションとは食材や飲み物等の栄養補給をする場所)

出す物を出しすっきりとし万全の体勢となったので自信のあったラン競技に本腰を入れることとした。

走り始めると足はとても軽く、前の選手をどんどん追い抜いていくことが出来た。 バイクが漕げなかった分ランニングで使う脚力は十分に残っていたのだ。  想定通りの展開である。

沿道では「ワイドー ワイドー」と言う応援の声が鳴り止まなかった。

ワイドーとは、地元でガンバレーの意味である。 ちっちゃな子供から、お爺さんお婆さんまで、この声援で選手達は元気付けられるのです。

三線を弾きながら沖縄民謡を歌ってくれているお爺ちゃんも居た。

エイドステーションには、あんパン コッペパン おにぎり バナナ オレンジ レモン 梅干 塩 黒糖 スポーツドリンク コーラ 水 が置いてあった。

主に小学生,中学生が手渡しで飲み物や食べ物を渡してくれたが、見ていると彼らの中でも競争があるようで、選手が自分の手のものを取ってくれたら勝ち・・・みたいな・・・友達同士で、誰が一番渡せれたかのようなことを競い合っているようであった。

けっこう粘り強く渡してくる少年も居たが、 受け取ってあげると「ヨッシャー!!」 と言う雄叫びが上がっていた。

ちなみに私は、パン レモン 梅干 スポーツドリンク を各エイド毎にいただいた。 ランでは2キロ置きに設置してあったが、約20ヶ所ほぼこのメニューを食べ続けた。

折り返してからは、緩い追い風で、日差しもきつく、とても暑苦しかった。  当然他の選手のペースも落ちてき、イーブンペースで走っていた私は更に追い抜く人数が増した。 しんどいが、気持ちが良い? と言う感覚である。

サトウキビ畑から、町中に差し掛かって来るとゴールは近い。 沿道の声援は益々濃くなる。

誰一人もらす事無く沿道の方には笑顔で手を振り、お礼の言葉を投げかけた。

ゴールの陸上競技場まではだらだらと長い坂道が続いた。  とりあえず目の前に見える選手は抜いてしまえと、ラストスパートで最後は気合を入れた。

そしてようやくゴールの競技場に入った。  競技場に入ると、今回宿泊させていただいた民宿の方々が応援に来てくれていた。

なんと、応援の横断幕まで作ってくれていた。  迷わず、一緒にゴールしましょうと誘い、トラック約一周400mをみんなで走り、ゴールゲートをくぐった。

最終的には296位であった。

その夜は、民宿近くの食堂で食事をした。

「星のとなり」という食堂だが、基本的な食事はここでとっていた。 格安で腹いっぱい食べさせてくれるが、その日はお祝いと言うことで、島おでんなど、めでたい料理をたっぷりと振舞ってくれた。

食事後は宿にもどり、民宿の若者達と遅くまでパーッとやりました。

翌日は、表彰式,閉会式と完走パーティーが行われた。  今年の優勝は、日本勢が男女共に奪還した。 男子は東京都の河原勇人(33)3年ぶり2度目の優勝。  女子は東京都の塩野絵美(31)が5年ぶり2度目の優勝を果たした。

完走パーティーでは、選手皆が、やりきった満足感と今までの節制が解き放たれた喜びで、飲むわ食うわ・・・。

せっかくなので、レンタカーで島内の観光を行った。

1000円ちょっとの釣竿を買い、海釣りなどもしてみたがやはり釣れた魚も南国らしい。

↑ 「オジサン」と言う名前の魚らしい。 塩焼きで食べると美味いらしい。

↑ 「ミツバモチノウオ?(図鑑で調べたところ)」

海水浴もした。そこでも手づかみやタモで魚が獲れた。

鳥取から愛犬も同行させていた。

愛犬は「犬まっちゃ」というペットホテルに泊まらせていた。

ちなみに、”まっちゃ”とは小さなお店と言う意味らしい。

犬まっちゃのオーナーです。↓

その奥に写る白いワンちゃんは、「笑って!」と頼むと、笑ってくれた。

泊まった民宿もとても良かった。 「ゲストハウス南国屋」という民宿だったが、そこを語ると、とてもなく長くなりそうなので、終わりにしたいと思う。

ちなみにそこの民宿にも井戸があり、活用をされていた。

民宿の仲間と記念撮影

最後に、空港のお土産売り場に、沖縄石垣島に工房がある米子焼きのシーサーの置物があった。

米子と言えば、トライアスロン発祥の地、皆生トライアスロンの開催地です。

とても親しみを感じたので、一つ買って帰った。