元気を出そう絆プロジェクト 鳥取!!

不況にこの度の震災が重なり、自粛や節約ムードによって日本がますます萎縮してしまわないか心配になる。

もちろん物を大切に使うことは大事であるが、今は特に気持ちだけは明るく前向きに奮起していかなければならない時だと感じている。

そんな中、広告代理店の(株)一広の高木さんから面白い企画があるので参加してみないかとの声をいただいた。

その企画は「元気を出そう絆プロジェクト 鳥取!!」というタイトルで行われる。

テレビCMでメッセージを伝えるというものだが、「鳥取はこんなに元気な町で、素晴らしい絆を発信できる町だ。」ということを視聴者に訴えるもので、色々な企業や団体,個人が参加できるとても活力あふれる企画である。

是非当社も参加させていただきたいということで返事をさせてもらった。

そして高木さんはCMのタイトルコールは子供達の元気な姿を使いたいので誰か小学校の先生を紹介してほしいとのこともおっしゃられた。

そんな訳でとりあえず私のトライアスロン仲間の小学校教師を紹介することとした。

アポイントも取れ、高木さんに直接先生の勤める学校に行ってもらうよう段取りをしていたが、「田島さんも一緒に行きましょうよぉ、緊張するじゃないですかぁ。」と言うので一緒に行ってあげる事とした。

学校に着くと先生は温かく出迎えてくれてしかも校長先生も紹介してくれるとのことであった。

校長室に入ると私は名刺を忘れていることに気付きとても慌てていたが、校長先生の方から優しく大丈夫ですよと名刺を手渡してくださいました。 焦っていたので頂いた名刺も校長先生の顔もあまり見れず、恐縮する気持ちを抱きながら椅子に座らさせていただいた。

とりあえず自己紹介をしなければと思い挨拶の言葉を言いかけた その時である・・・

驚きと感動の瞬間が訪れた!

「なんだいや!何しとるだいな!」 ・  「あっ!先生!」

校長先生と目が合ったと同時にお互いその言葉が発せられた。

何とビックリ私の小学校5・6年の時の担任の先生だったのである。

あまりの驚きと感動に言葉も失い呆然としてしまったが、完全にその瞬間私はあの時の6年2組の生徒であの時の先生を見ている不思議な感覚となった。

私にとって人生で最も印象深い恩師であり、当時先生は24歳、新前ホヤホヤの熱血教師で、生徒からとても人気のある先生であった。 休みの日なども生徒何人かで家に遊びに行ったり海に泳ぎに連れて行ってもらったり、城崎の日和山遊園にみんなで行ったこともあった。 あの当時の楽しい記憶が沢山よみがえってきた。

横を見ると高木さんはポカーンと口を開けながら「すごいですね」と言ってくれたが、明らかに私と先生の間は場違いなこの上ない感動のオーラに包まれていた。

その後も高木さんが打ち合わせしている横で、先生と私は当時の思い出話に花を咲かせており、尽きぬ話にあっという間に時間が過ぎ去っていった。

結局子供達のタイトルコール出演には教育委員会などの了解の確認が必要とのことで、後日お返事をいただけるとのことであるが、校長先生とは別れ際にクラスの同窓会をすることを約束し、また6年2組の仲間で再開できることを楽しみに学校を後にした。

人の繋がりがこのような素晴らしい出会いを作ってくれることをあらためて感じるとともに、絆の大切さをつくづく感じたのであった。

興奮状態で家に帰ってそのことを妻に伝えたが、「ああそう、よかったねぇ」と・・・完全に温度差のあるこの感情にとてももどかしさを感じてしまった・・・。

唯一お袋は本気で喜んでくれたが、この感動を分かち合うためにも早く同窓会を開いてみんなで酒を飲みながら再会を楽しまなければならないと強く思ったのであった。

トライアスロン仲間の先生! 出会いを有難うございました。

高木さん! 一緒に付いて行かさせてくれて有難うございました。 今回の企画がこんなに素晴らしき日を導いてくれたことに本当に感謝いたします。

↑左から校長先生,私,トライアスロン仲間の先生

右の方が高木さんです。