OSJ氷ノ山山系トレイル50マイル

11月14日(日)に本格的なトレイルマラソンレース・OSJ氷ノ山山系トレイル50マイルに挑戦してきた。

トレイルマラソンとは、林道や登山道など不整地を走るマラソンで日本各地や世界でもレースを行われているようだが、今回のレースは距離が50マイル(80キロ)もあり 平地でも走ったことのない距離で相当の覚悟が必要となった。 しかも実際には96キロもあるとのことであった。

この大会は兵庫県 香美町,養父市,新温泉町 鳥取県若桜町,鳥取市国府町の山々を縦走するレースでパワースポーツ/OSJが企画運営を手掛けた。

とにかく初めてのことで、どんなものか全く未知の世界で不安だったが レース前日の受付会場に行ってみると意外と人も多く 山への挑戦者達の姿がわくわくする気持ちを掻き立てた。

エントリーは329名と選手の多さには驚いたがその反面、熊の出没が心配だった私はその人数に少しホッとした。  実際会場には熊のはく製が飾ってあり、熊対策の説明会も行われ、熊の撃退スプレーも千円でレンタルしていた。

しかし、私はすでに1万円もする熊撃退スプレーを購入していたので レンタルがあったことにとても悔やまれた・・・。   ※でも実際レースでは熊の出没する心配は無いことを実感したのだが・・・。

スタートが朝6時ということでその日は近くのロッジに友人と泊まった。

レースではリュックを背負い水を2リットルも持たなければならないため、何を詰め込むかギリギリまで悩んだ。

補給食や雨具,防寒対策 予備品など、多めに持てば安心だが重くなるし、持たなければ必要となった時が怖い・・・

上の写真は友人の上田君だが、彼も持ち物には相当悩んでいたようだ。

私は「白兎のちぎり」という落雁を補給食の一つに選んだのと、熊の撃退スプレー「カウンターアソール・ストロンガー(約400g)」は意地でも持っていくこととした。

その夜は5時間ほど寝て起床は朝4時過ぎ 朝食を取りしだいスタートへ移動した。

記念写真を撮ったり靴のヒモを締め直したりと のんびり構えていたら、突然号砲が鳴り、慌ててスタートを迎えた。 (AM 6:00)

勇ましい皆の雄叫びもあがった

リュックを背負って走るのは初めてで 走り始めるとすぐその重さが気になった・・・とにかく物が無いという状態に陥いることが怖かったので 思いつく物はなるべく詰め込んでしまったが、この重苦しさに先々の不安を感じた・・・。

最初の林道では真っ暗な中 選手同士で混み合っていたが、明るくなるにつれ選手もバラけてきた。

スタートして1時間ほど進んだところにまずは絶景のポイントがあった たぶんハチ伏山だろう。   記念写真を撮ったり、まだみんなには余裕を感じられる。

もちろん坂はとてもキツく、すでに汗びっしょりである。

一瞬ではあるが登りきるととてもホッとするものである。

空は曇っているが振り返ると通って来た景色が雄大に写る。

絶景ルートを越えると本格的な登山道が待っていた・・・

レース序盤だかこのような急傾斜が何度も続くので 先を思うと気が遠くなってしまう・・・。

ハチ高原のこのようなルートがしばらく続くと氷ノ山山頂を横目に仙谷登山口へと下って行くルートに進んでいく。

更に急傾斜となり岩肌も目出つ・・・危ない感じが漂ってきた・・・。

少し進むと落ち葉にまぎれて2頭の犬がつながれていた。 見た目に、山梨県の南アルプス山岳地帯で狩猟犬として飼われていた種類の甲斐犬のようだ・・・甲斐犬は国の天然記念物にも指定されている。 この犬も猟犬だろうか・・・。

実はこの犬、プロトレイルランナーの石川弘樹さんの飼い犬だったようだ、この先大変危険な箇所がある為、選手のサポートに来ていたのだ。

でもこの犬、雑種だったようである・・・。

それより とにかくこの難所は危険で選手達のペースを一気に落とした。

そしてなぜか前が詰まり渋滞が発生している・・・。

断崖の鎖場である・・・ここは安全キープということで、じっくり一人一人が確実に下りるのを待ってからということでその順番待ちである。

鎖場を下りてからも しばらくは岩場の沢下りが続くので、足を置く位置に注意しながら慎重に前進した。

仙谷登山口まで下りると若桜氷ノ山スキー場付近で、もう少し進むと第一関門自然ふれあいの里に到達する。約20キロ地点である。

へばっていたのか写真には収めていないが、ここの関門ではすでに座り込んで休憩する選手が結構居た。 もしかするとすでにこの関門でも時間制限に間に合わなかった選手が後には居たのではないだろうか・・・。 ここでは水と汁のサービスがあったが、とにかく荷物を少しでも軽くしたかったのでリュックのものを補給しすぐに通過した。

少し進むと東因幡林道を走るルートに入った。

たまに泥濘もあったがほぼ砂利道の開けた林道である。 距離は15から16キロほど続いただろうか・・・今までの道と違い走りやすく ついついオーバーペースぎみになってしまったようで、気が付くと走ることに苦痛を感じ始めていた・・・。

そんな状態で東因幡林道を走り終え、扇の山の畑ヶ平登山口に入る。

その入り口で前を走っていた上田君に出会った。 どうやら水を切らしたようで谷水を汲んでいたようだ。

この先進んで行くのにとても不安を感じていた矢先だったので 出会えたことに安堵の気持ちがわいた。

まだまだ先は長く どんな困難が待ち受けているか分からないので彼の足手まといにならない程度に一緒に走っていくこととした。

少し走るとエイドステーションがあった ちょうど昼だ ここまで来るとやはり皆の表情は重苦しい・・・。 先ほどの林道で私のようについつい調子に乗って走り過ぎた選手の面々が伺われる・・・。

ここでは一旦リュックを降ろし体を伸ばす リュックを降ろすと羽が生えたように軽い 早くリュックから開放されたいと思った・・・ とりあえず一呼吸入れここでは栄養補給もしっかり行った。

そしてここからまた激しいトレイルが始まった・・・二人で走ればとても心強いが、お互いの気持ちが途切れればペースは一気に落ちてしまう・・・これだけの距離になればその都度の気の緩みも積み重ねで大きなタイムロスとなってしまう。 関門毎のタイムリミットも余裕があるようで油断は出来ない・・・走れるところは走り、山登りはなるべく力強く踏み込んだ。

しばらく行くとブナ林を走るコースに出た。 扇ノ山の登山ルートだと思うが、ここからだとゴールより家に帰った方が近い距離である・・・。

何より地元とは思えない光景で、落ち葉のじゅうたんは本当に心地よく一瞬疲れも消えて無くなったように感じた。

ブナ林を越えしばらく下ると舗装路に出た。 久しぶりの舗装路は不思議と心をホッとさせた・・・やはりそこは人間の特性であろうか・・・。

舗装路を満喫していると第二関門に到着した。 場所は上山高原である。距離は43キロ程度の位置。

ここのタイムリミットは16時だが、時計を見ると13時40分だった。 だいぶ貯金があるようだが、まだ全体の半分弱の距離であり油断は大敵である・・・。

ここでちょうど持っていた2リットルの水が切れたので補充をした。

エイドの温かいコーンポタージュを頂き、持っていたヤマザキのランチパック(たまご)と白アンパンを食べた。  疲れてくると食べ物も受けつけないが、まだ十分に食欲はある。  ここではハンガーノックになったのか寝込んでいる選手も居た・・・。

やはり水を補充した分荷物がズッシリときた・・・こうなると「カウンターアソール・ストロンガー」がとても邪魔に感じてしまう・・・出来れば熊に出てきてほしいとまで思った・・・。

ここからはまたトレイルコースに入っていった。  渡りにくい沢の横断も何箇所か有り、斜面から伏流水が染み出していて走り心地の悪い道が続いた。

標高1000m以上に流れる水は最高の名水である。

トレイルレースではこの水が有り難い補給水として利用される。   ちょっと足を止めて冷たい水で頭を冷やした。

登山道を下りるとまた舗装路に出た。 畑ヶ平林道だ しかしこの距離になるとアスファルトの衝撃が足に響いてくる・・・。

ほぼ下りばかりだったので二人で雑談をしながら痛みをごまかしテンポよく走った。  途中 菅原付近で、同じ鳥取から参加の選手に出会った。 彼は元々は北海道の出身だが鳥取で家畜の獣医をしている。 鳥取県トライアスロン協会にも所属していて皆生トライアスロンやウルトラマラソンにも出場する鉄人である。  しばらくはこの三人で走ったが彼は地図を見ながら随所に現在地やエイドまでの距離を教えてくれて、大変心強い助っ人となった。

舗装路の終点で備前畑からの登山道に入る ここは補助関門にもなっていて、スタッフに先を走る知り合いの通過時刻を確認したが、かなり前を走っているようだ・・・我々の順位も90番台であることが分かった。

とにかく完走することを目標に登山道に向った。

この登山ルートがまたとても険しかった・・・ルートに入っていきなり高低差5m程度はある急斜面を木の枝や根などを掴み下りる場所があったり、しばらく行くと真横が絶壁で 落ちたら命もなさそうな場所があったり・・・ 酷使されている体が一瞬”ふっ”と吸い込まれそうになる・・・  後ろから「トリッキーだなぁ」と言う声が聞こえた・・・。

ランニングの競技でトリッキーという言葉が出てくる・・・ますますこの競技が今までとは別世界であることを感じた・・・。

登りきった所にエイドがあった。 時刻は16時半頃 ここにはまた石川弘樹さんが居た。

石川さんが、「温かいラーメンのつゆがあるのでどうぞ。」とやさしく選手に振舞ってくれた。

ポットに入った温かいラーメンつゆをコップに注ぎグイっと飲んだ 濃い目の味だが 体の塩分が不足していたのかとても生き返った気がした。 つゆはチキンラーメンのつゆであった。

坂を下りながら考えたが、チキンラーメンならあのポットに麺が入っていたのだろうか・・・いや、まさかお昼食べた残りの汁だろうか・・・ だとすればさすが 食べ物を粗末しない環境に考慮した大会である・・・。   どちらにしても体を元気にしていただいたことに感謝しながら次を目指した。

峠を下り、舗装路をしばらく進むと林道に入る矢印があった。  時間は17時前、そろそろ暗くなり始めるころなのでライトの準備も気になり始めていた。

そうこうするとあっという間に辺りは暗くなった・・・ヘッドライトを付け防寒対策も必要となる。

みんな口数も減り、下りかフラット以外は走れなくなっていた・・・ 私はとにかく左足裏と左膝が痛かった・・・  そんなに食欲は無かったがなるべく補給食を口にするよう心がけた。

しかし上田くんは食べれないようなことを言い始めた・・・。

真っ暗な中、走れるところはなるべく走り、上り坂は歩いた・・・ いつの間にか獣医さんとも逸れていた・・・

走り始める時は必ず上田くんが「さあ 走りましょうか」と声を発す。

走ったり歩いたりを繰り返していると上田くんが急に「先に行ってください」と言った・・・。

いきなりで驚いた・・・。

自分も体力的には紙一重な感じだが、それ以上にそうとう苦しいんだろうなと思った。

今はとにかく一人でゴールを迎えることに価値を見出せなかった・・・

男を磨くこの舞台で慰めの言葉はなるべく控え 歩きながらでも一緒に前に進むことを選んだ。

けっこう歩いたが、下りになり上田くんの方から「走りましょう」と言ってきた・・・。

「走れるんか?」と問い、

私も膝と足裏が痛んだがごまかしながら二人でこてこてと走った。 しばらく進むとまた舗装路になり民家が見えてきた。

18時半頃だったが辺りは真っ暗で民家には暖かそうな明かりが灯っていた。 「みんなちび丸子ちゃんやサザエさんを見ながら食卓をかこんでいるんだろうな・・・」などとぼやきながら坂道を下った。

坂を下りきると19時頃、道の誘導をするスタッフの横にトライアスロン仲間の西村さんが奥さんと一緒に応援に来てくれていた。  暗くて寒い中ずっと待ってくれていたようだ・・・第3関門まであと5キロくらいの所だった。 感謝の気持ちで一杯になった。

しかしここで気が緩んだのか、上田くんが一気にますます苦しげになった・・・第3関門までは上り急勾配の舗装路がずっと続く・・・とにかく食べ物を受けつけないようだった・・・とりあえず自動販売機でアクエリアスを買ってちびちびと体に水分を入れながら歩いた・・・。

そんな彼を横目に私は持っていたおにぎりを食べた。 上田君に「食べれてうらやましいですね・・・」と言われ、思わず「うめぇ」と言った・・・。 とり五目おにぎりは本当に美味かった。

持っていたチョコレートを渡し体力の回復を願うが、この後もますますペースは落ちていき 歩いている選手にまで抜かれ始めた・・・ とりあえず、「まあぼちぼち行こうや」と声を掛け前に進んだ。

人里を過ぎ、辺りが木々で覆われ淋しくなってきた頃、とうとう上田君が 「俺・・・リタイヤします・・・」と言った。  第3関門まであと3キロの所だった・・・

何とか第3関門まで行けば・・・と言う気持ちは彼にも 私にもあったが、本当に限界を悟ったのだろう・・・。

止める言葉は出なかった・・・。   選手にとってリタイヤという選択肢は本当に究極であるからだ・・・。

上田くんは昨年皆生トライアスロンで十数位という誰もが出しえない順位でゴールをしている・・・この状態が不本意であることは言うまでも無い・・・。

救護車に乗り 去っていく彼を複雑な心境で見届け また走り始めた。

とても寂しくなったがそれを振り払うかのように一気にペース上げた 今までのスローペースが体力を温存してくれていたようだ。  数人を追い抜き第3関門に到着した。

美方高原自然の家「とちの木村」である。マップでは70キロ過ぎを示していたが、もっと距離はあるはずだ。  ここの関門の制限時間は21時だが、今の時刻は8時15分・・・タイムリミットまであと45分しか残っていなかった・・・あのペースだとおそらくアウトであった・・・。

疲労困憊の選手達がリュックを置いてへたりこんでいた・・・。

ここでは温かい野菜スープを頂き リュックからパワーバーを取り出してかじりついた。

持っていた食材もほとんど無くなっていた・・・あれほど荷物の持ち過ぎを気にしていたが結果的に丁度良かった感じがした・・・。

マップからするとゴールまであと8キロくらいのはずだが、スタッフに残りの距離を問うと、「あと10・・〇×△&」と 濁すように答えた・・・。  まだ10数キロあるみたいで実際の距離を選手に伝えることが酷だと思ったのだろう・・・スタッフの心配りを感じた。

そこからはまた林道に入り、更にハイペースで進んだ  今まで追い抜かれていった選手達をごぼう抜きに出来た。

ただし わずかな上り坂でも足が痛くて全く走れず早歩きで凌ぎ 平坦と下りは痛みをごまかしながら走った。

上りきった林道の終点辺りで 演歌が聞こえてきた・・・・こんな山奥で演歌かぁ・・・石川さゆりの「天城越え」 である。   近くまで行くと、演歌なのに赤いチャイナドレスを着た男性が立っていた・・・ 。

選手を元気付けるためにスタッフがパフォーマンスをしてくれていた。   しかしここまで来ると笑いも余分な体力の消耗と 素直に愛想を振り撒いてあげれる選手も少なかったのではないだろうか・・・。  私がカメラを向けると、「撮ってくれて有難う」と逆に感謝をされた・・・。    我々のためにこんな山奥で寒い中・・・感謝の気持ちで頭が上がらない思いを胸に前へと進む。

結構標高の高そうな林道が続き、長い舗装路の上り坂が続いた。 実際のペースは分からないが自分なりにかなりムチを打った早歩きである。  ここでも結構選手を交わしたと思う。   上りきった辺りにエイドステーションがあった。 瀞川山頂付近だ。  そこにはおにぎりと地元特産の牛コロッケが置いてあった。  1個づつ有り難く頂いたが、それよりスタッフがテント奥で焼いているバーベキュウーの方が気になった・・・とても香ばしい臭いを放っていた。  生ビールと焼肉が恋しくなった・・・

聞けば ここは90キロ地点だということだ・・・ゴールまであと6キロであることも教えてもらった。   ”帰ったら焼肉を食いに行くかなぁ”などと思いながら出発をした。

あと6キロだと考えたら何となく全身が蘇ってきた。 足は痛いものの気持ち一つで変わることを実感し この瀞川林道を軽快に下った。 先週走った米鳥駅伝がここで生かされた気がした。

そうこうするとあっという間に最初の登山道に帰って来た。 十石山の登山道だ ここまで来るとやっとゴールに近づいた気がした。

しかし・・・久しぶりの登山道は林道とは訳が違った。 急な下りや上り 丸太の階段など、膝が強烈に痛んだ・・・。

あとわずかだと思い、「気持ち、気持ち」と言い聞かせ 壊れる覚悟で山を下った。

しかしあまりに痛く 走れなくなるのでは・・・という恐怖心が襲ってきた・・・  確かにゴールが目の前にあってもくぐらなければゴールにはならない・・・

ここに来てネガティブな発想が襲ってくる・・・。

力も入り過ぎていたのか 全身が硬直するような感じがしてきた・・・   これはまずいと思い一旦止まった。

そしてリュックを降ろして座った・・・食料はほとんど食べつくしていたが、「白兎のちぎり(落雁)」が残っていた。  とりあえずこいつを口に入れた・・・ ほのかに梅の香りがし、口の中でスッと溶けて五臓六腑に染み渡った感じがした。

一呼吸置き、立ち上がるとさっきまでとは感じが変わった。   走り始めると膝は痛いが、地面を踏ん張ることができた。

痛みを堪えながら真っ暗な登山道をひたすら下りた。 「ここの登山道こんなに長かったか・・・道は合っているのか・・・」と思うくらいこの山道がしつこく長く感じた。   つづら折れの山道をいくつも越えようやく舗装路が見えた・・・ スタッフが誘導棒で案内してくれている・・・   ゴールはかなり近いと思った。

とにかくゴールをして早くリュックを降ろしたかった・・・ もう無我夢中である・・・

ぼんやりとゴールが見えてきた・・・。

スタッフや応援の方々の声が次第に濃くなり ふわふわとした不思議な感覚が体を包んだ。

ようやくここで確実にゴールを迎えれることを実感する。

コーナーを曲がると あれほど辿り着きたかったゴールゲートがしっかりと目に映った。

その瞬間 この上ない安心感が体を覆った。

あんなに苦しかったのに 終わりを目の前にすると、ゴールしてしまうことが勿体無いような そんな気持ちにもなった・・・。

そして ゆっくりと喜びを噛み締めながらゴールゲートをくぐった。  ちょうど22時頃であった。

ゴール後少し元気そうになった上田君と再会した。

「田島さん 有難うございました 今度お礼にお菓子もって行きますんで。」と いつもの調子・・・。

「また頑張ろうで!」 と言い、写真を一枚撮ってもらった。

終わると一気に寒くなった・・・まだ走っている選手には悪いが風邪を引かないうちに着替えて帰ることにした。 車を運転し家に着いたのは午前0時頃だった。  ちょうどレースタイムリミットの時刻である・・・。

食卓にはサランラップの巻かれた夕食が置いてあった。 まだほんのり温かかった。 少しだけ頂き 風呂に入って寝床に行くと我が家の癒し達が川の字になって寝ている。

その癒しの川の字にそっと割り込み 眠りに着いた・・・。

最後に、

100キロ近くもあるこのトレイルマラソンに挑戦した動機は、ただのマラソンではなく 山に挑むマラソンであったからだ。 サバイバルな部分が自分の中のストイックを掻き立て、リスクに向かうことで日常潜む心の壁を打ち破りたいという気持ちがわいたからだ。       ただのウルトラマラソンであれば挑戦はしなかった。

終わって感じたのはやはり山の雄大さだ。素直に大自然に感動した。 元々山登りなどはあまり経験がなかったのだが、このレースに出てみて 山々の特色、林道、登山道、池、川、滝、など、挑戦していなければ知りえなかった地元の大自然を知ることが出来た。 そういった意味でトレイルマラソンというスポーツは困難に陥っても気持ちを切り替えれる要素がたくさんあると思った。

まだまだ国内では駆け出しのスポーツのようだが、これからは愛好家がどんどん増えていきそうな気がする。  私もこれからは一つの競技としてチャレンジしていきたいと考えている。

しかし思ったが、純粋に登山をする方々にとってトレイルランナーはどう映っているのだろうか・・・。

登山と言えば、沢山の荷物を持ち重装備でコツコツと山を歩く姿を想像する。

この度の氷ノ山トレイルにしても、十数時間掛かったとは言え100キロ近い距離を1日で終わらせてしまう。

登山を楽しむ方々にとっては全くナンセンスは話ではなかろうか・・・。 新参者が軽装で派手な格好をしてはしゃぎ回って山を荒らしている・・・そういうふうに見ている人も居るのではないだろうか・・・。

山を知り、山を愛せばトレッキングもトレイルランも共通なはずである・・・。

狩猟の文化は古代から伝わり人間は野山を駆け回ってきたはずである・・・人里に熊が出れば運の悪い熊は捕らえられ、山で熊に遭遇すれば運が悪ければ熊は襲ってくる・・・それは今も昔も一緒であろう。

自然環境が変わり動物達の餌が減っていると聞くがそれはもっと根本的な問題であり、大自然から目をそらし続けてきた人間の代償であるとも言えるのではないだろうか。

走り好きが大自然に関われるこのトレイルランニングに出会い、トレイルランニングを通じて大自然の素晴らしさを知る。

そして世の中に大自然に目を向ける方がどんどん増えていってくれることがまずは大事なことではないかと感じております。

まだまだ山のこともトレイルランニングのことも素人だが、これからも挑戦は惜しまないつもりでいる。