暑い夏の戦いを乗り越えてきた。
今年の皆生の海は波が高くスイムが中止となった。
したがって第1ラン(8.2km)、バイク(145km)、第2ラン(42.195km)のデュアスロン形式で行われた。
過去にも一度経験があるが、その時は第一ランの飛ばし過ぎが影響して最後はまともに走れなかった覚えがある。
まずはその苦い思い出を抱きながら皆生の長い一日をスタートした。
そもそも完走できるだろうかという不安があり、想定では第2ランのどこかで足の故障部が痛くなって走れなくなるだろうと、自分なりに割り切ったところもあった。
ランはストライドではなくピッチでなるべく衝撃を抑えた走りをし、バイクもなるべく負荷を掛けないように意識して漕いだ。
もちろんゴールは目指すが、どちらか言うと一日中じっくり体を動かし続けてやろうと言う気持ちで走った。
やはり完走が何よりも強い使命であったからだ。
第2ラン15キロ付近で八尾さん(トライアスロンプロフェッショナルコーチ)が私の一つ前の選手に「君で100位だよ!」と声を掛けたのが聞こえた。
「おや! そうなんだ・・・。」と思い、二ケタ順位への可能性も視野に、自分への後押しの力が加わった。
気が付けばゴール、会場のドラどらパークはまだ閑散としている感があった。
※ちなみに鳥取県はドラ焼き生産量が日本一だそうだ・・・。
ところで結果だが、私のレベルからして出来すぎなくらいであった・・・皆生自己ベストが出た!
40歳代にしての進化に希望を感じさせていただいた。
沿道の家族も応援のし甲斐があったのだろう・・・今思えば、私に対する扱いがとても親切だった気がする・・・。
今シーズンは足の故障で泣いたが、この皆生ではそれが良い結果をもたらしてくれたと言える。
禍を転じて福となすとはこのことだろう。
写真にも写るが、私の父(会長)は今年も一緒にゴールを味わった。
この日に向けてリハビリを頑張ってきた。
実は8年ほど前から父はパーキンソン病を患っている。
元々活発な人だったので発祥当初は、精神的にも滅入り、見る間に病気は進行して行った。
ところが最近、父の様子が変わった。
動きも機敏になり、過去では考えられないほど体が動いている。
聞くと、毎日施設でリハビリルームでのトレーニング、自宅でのベットを利用したトレーニング、家の周りのウォーキング等、かなり積極的に運動をしているとのことだ。
しかしそんな病気で何故そんなに体が動かせるのか・・・
それは薬だ・・・。
薬というと微妙なイメージが湧くが、パーキンソン病は、脳の病気で、症状としては体が動かなくなってしまうというもの・・・今の一般的な医学では薬によって一時的に体を動くようにするしか方法はない・・・。
父はこれまで発祥当初からずっと、出される薬を飲み、デイサービスや介護施設に通う毎日を送っていた。
その生活の中の習慣の一つとして、出される薬の効き具合を事細かく日誌につけるということも行っていた。
何年も続けたその習慣により、父は自分に合う処方を見つけていた。
このまま出される薬を出されるままに飲んでいてはダメだ・・と父は考えた。
副作用のことなど、心配していたことも薬剤師の友人に教えてもらい、主治医の先生にお願いをして父の考えと友人のアドバイス通りに薬を飲まさせてもらうようにしてもらった。
そこからだ・・・。
薬を飲むことで体は動いてくれる・・・的確に薬を飲んで、動ける時間をしっかり作り、その時間を有効に使おうと考えたのだ。
動ける時間は無駄無く集中してリハビリを行った。
正にその考えは的中した。
上がらなかった手も上がるようになり、基本的な衣食住は数段自由度が増し、健常者でも面倒なトレーニングでも出来るようになった。
その事により、体の稼動範囲、行動範囲が広がり、気持ちも明るく前向きになり、出来るはずもないことも出来るようになった。
今年で75歳、希望に向ってパーキンソン病克服の一途を辿っているのである。
父は皆生トライアスロンのゴールを目標とし、私はその父を見習い、諦めない気持ちを養っている。
今回の皆生での結果はそんなこともあってのことだと思っている。
来年のゴールに向け日々のトレーニングは続く。